299. 推量再び |
- 【日時】 2007/10/14 18:26
- 【名前】 老婆心
- 274の推量について書かせていただきます。古い記事なので別スレッドにしてみました。
とんとんさんの質問についてはkajiritate webmasterさんの丁寧な答えでじゅうぶんですので、ここでは推量の「겠」について概観してみたいと思います。長文になりますがきっと役立つと思いますのでご一読ください。
まず「意思」というのがあります。 といっても「こうしたい」とか「いずれこれをやるつもり」いうような意向ではなく、今目の前にいる聞き手に話し手の持っている「やる」という意思を伝えるときに使います。つまり「意思」の宣言です。「誰か手伝って(누구 도와줄 사람이 없어요?)」と言われて「じゃ私が手伝います(제가 하겠습니다)」というような場合です。お年寄りの荷物を持ってあげるときには「私がお持ちします(제가 들겠습니다)」と言えばいいでしょう。あるいは何かを強力に勧められたのに断るときにはたんに「結構です(됐습니다)」と答えるより「そんなことできません(그런 건 못 하겠어요」と答えたほうが絶対ヤダという意思が強く表せます。相手の意思を尋ねることもできます。「これ、お読みになります?(이거 읽으시겠어요?)」とか「夕食は何になさいますか(저녁은 뭘 드시겠어요?)」みたいに。
次に「遠慮」というか「控えめな気持ち」を表すことができます。 初対面のあいさつ「처음 뵙겠습니다」や見知らぬ人にものを尋ねるときの「말씀 좀 묻겠습니다」、そしてそう尋ねられたものの答えられないときの「잘 모르겠는데요」なんかがこれです。よく知らない人にずけずけとものを言うのはためらわれるので、そのときに「겠」を使うとソフトで遠まわしにした印象になります。
そして問題の「推量」です。 これは相手に対する共感が伴うことが大切です。たとえば大汗をかいている人を見かけたとき「暑そう」と思うわけですが、その暑さに対する共感があるかないかで韓国語の表現は変わります。 その人がなぜ大汗をかいているのかわからないときは共感できないので、たんに見た目から判断した言い方をせざるをえません。それが「더운 것 같다」です。「같다」が「同じだ」という形容詞であることから一般に「暑い」ときの様子とされる現象(大汗をかく)と「同じ」様子をしているから、類推して「暑いのと同じだ」と判断するのです。 「暑そうに見える」という意味の「더워 보인다」もありますが、実際に暑いのかどうかは問題にせず、見た目だけが「暑そう」ということになりなんだか不自然です。 また、状態を客観的に判断すると「더울 거에요」となります。あの人は大汗をかいているからおそらく暑いんだろう、と第三者の立場から論評し、自分は関係ないけど…という感じです。目の前の相手に言うべき表現ではなく、あくまでも三人称の人物を評する言い方です。 「덥겠다」と言えるのは、なぜ大汗をかいているのかわかっている場合です。その理由がわかればその立場に自分の身を置いて考えることができます。もし自分がこの人と同じ経験をしたらきっと自分もすごく暑くて大汗をかくだろう、という共感がそこに存在します。だからこそ、目の前の相手をねぎらう表現として最適なのです。例の問題の正解が(4)なのはこのことからもわかるでしょう。
最後にこれは私たちが実際に使うことはあまりないでしょうが、専門家としての立場で断言する用法があります。「まもなく、電車が到着いたします(잠시후 전차가 도착하겠습니다)」とか「明日は雨でしょう(내일은 비가 오겠습니다)」のように一般ピープルに向けて確実な情報を伝える立場で使う場合です。
以上が「겠」の主だった用法です。いずれも聞き手に対して礼儀正しい言い方で聞き手のためを思って使うので私は勝手に「思いやりの補助語幹」と呼んでいます。 これを礼儀正しくない言い方(つまりタメグチ)で言うとどうなるでしょうか。「意思」なら「내가 할께」、「이거 읽을래?」「저녁은 뭐 할래?」だし「遠慮」はそもそもタメグチの相手には不要です。専門家のアナウンスはタメグチはありえません。ということで「겠」は現れてこない場合がほとんどです。ところが「推量」に関しては「힘들겠다!」「아프겠다!」「맛있겠다!」「재미있겠다!」とガンガン使えます。それは相手への「共感」あってこそなのです。 日本語と切り口の違うこの「겠」という補助語幹ですが、この言語を使う人びとのあたたかさを感じることのできるステキな語に思えて、私はすごく好きです。どうか面倒くさいとかわかりにくいとか思わずに接してほしいと思います。
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